ご挨拶

はじめまして。

ブログへお立ち寄りいただきありがとうございます。

フリーランスライターの江藤はる と申します。

茨城県在住、1児の母をしながらライターをしています。

簡単に自己紹介をしますので、「はるってどんな人?」と思われた方は読んでみてください(^^)

目次

自己紹介

名前:江藤はる

出身:茨城県(今も県内在住です)

家族:筋肉がお友達な夫、下がり眉毛がトレードマークの息子(3歳)との3人暮らし

経歴:地元の小学校、中学校、高校を卒業。

   高校卒業後、「安定第一!」の考えて地元の企業に入社。

   結婚、出産のタイミングでその時の自分に合った働き方を見直すべく転職し、現在フリーランス   

   でライターをしています。

趣味:おいしいものを食べること、読書、テレビ鑑賞、散歩、話を聞くこと、人間観察。

   子供が生まれてからは「趣味」といえるほどの時間は作れていませんが、幼少期から読書と散歩

   が好きです。

   ただ目の前の自然を見つめながら歩いたり、読んだこと・聞いたこと・感じたことを頭の中で整

   理しながら歩いたり。

   子供に手がかからなくなったらまず確保したいと思っている「自分時間」です。

その他:小さい頃から環境の変化に敏感で、周囲の人の機嫌・顔色が気になる性格でした。

    何気ない一言がトゲのようにずっと心に残っていたり、小さな失敗を引きずってしまった

    り…。

    自分はネガティブだし心配性だし…と自己嫌悪に陥ることも多々ありましたが、大人になって

    から「HSP気質」の存在を知り、私はコレだったんだ!!と自分を受け入れることが出来まし

    た。

    仕事、子育て、人付き合い、、HSP気質を存分に発揮してしまうことばかりですが、それでも

    自分の人生を豊かにできるように、そして最愛の家族に1つでも多くの笑顔を向けられるよう

    に、日々を過ごしています。

お仕事について

主な執筆ジャンル:健康、メンタルヘルス、子育て、ライフスタイル系が得意です。

         その他ジャンルも徹底リサーチで対応いたします!

使用可能ツール :Google(ドライブ/ドキュメント/スプレッドシート/スライド/フォーム)

         Microsoft Office(Word/Excel/PowerPoint)

         WordPress、Chatwork、Discord、Slack、Zoom、teams

これまでの軌跡

平和主義!自由に楽しく過ごした子供時代

幼稚園、小学校、中学校、高校と地元で進学しました。

あまり気の強い方ではなく、自分の意見を主張するタイプではなかったですね^^;

「平和主義者」というやつです。このあたりは今も変わらない…かも??

友達の影響で小学校3年生でバスケットボールを始めます。

中学校もバスケットボール部に入り、あるささいな出来事をきっかけ中長距離走の才能(というほどではない笑)が開花! (この「ささいな出来事」はいずれ詳しく紹介したいと思っています♪)

地区の陸上大会や駅伝大会に出場するようになります。

高校でもバスケットボール部に入り、練習がない日は洋菓子屋さんでアルバイト。

この頃になると、平和主義な女の子もそれなりに経験値を上げてくるわけです。

友達と衝突したり、親・先生に反抗してみたり。今となっては良い思い出ですね。

思い返せばなかなか自由に楽しく過ごしていた学生生活でした(^^)

社会人としての「基本」をつくってくれた会社生活

高校卒業後に就職した企業は、茨城県に工場を持つ大手鉄鋼メーカーでした。

ここでの生活が私の社会人としての基礎を作ってくれることになります。

「購買部」への配属

入社式、新人研修を終えて配属された先は「購買部」。

「購買」とはどんな仕事をする部署なのか、ピンとこない人も多いと思います。

簡単に言えば、「会社が使うものを買う(調達する)部門」です。

「買う」といっても「会社が使うもの」ですから、扱う品目は様々です。

ボールペン1本や雑巾1枚、軽油10,000リットル、石炭1,000t …etc

社会人としての学び

学生から大人の世界へ飛び込んだ私は本当に常識知らずでした。

新入社員歓迎会の前日、教育係のお姉さんは「スーツじゃなくて大丈夫だからね!」と言ってくれました。

なるほど~と思った当時の私は、お気に入りのデニムとパーカーで出席しました。

職場の女性陣は確かにスーツではないものの、俗にいうオフィスカジュアルと呼ばれる格好で、若いながらに

「やってしまった…」と思ったのを鮮明に覚えています。

アクセサリーが好きな私は、大ぶりなネックレスや指輪を付けたりと目に余る新人だったと思います。

それでも周りの方々のおかげで、社会人として相応しい立ち振る舞いを学びました。

※ここでいう「社会人として相応しい立ち振る舞い」は、業界ごとに全くことなる基準があると思いますので、「茨城県に工場をもつとある企業の2006年のお話」       としてご理解ください

がむしゃらに仕事に取り組む日々

もともと物事を深く考えるタイプの私。真面目な方だと思います。

任された仕事は最後まで!期待される以上の成果物を!と、いつも考えていました。

入社当初は購買担当者のアシスタントとして入力作業や書類整理を担当、その後購買担当者として従事するようになります。

新卒で就職した企業には約10年間勤務することになるのですが、その間、新システムの導入を任されたことありましたし

退職までの数年は輸入原料の調達を担当していました。

「がむしゃら」という言葉がぴったりで、残業・休日出勤は当たり前。

会社PCの持ち出しは禁止だったので、いつどんな緊急事態でメールが入るかと不安で、1ヶ月半ほど土日も毎日出社していた時期もありました。

夫にその話をすると「社畜だね」と言われます。笑

当時の私はそんなつもりはありませんでしたが、今思えば仕事のために生活していたように思います。

仕事の結果に一喜一憂し、苦しくなる日もありました。

そんな毎日ですが、1つ1つの仕事にやりがいを感じていましたし、上司・先輩・同僚・後輩・取引先…とても

恵まれた環境で仕事をさせてもらっていたので、今でも当時お世話になった方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

この「がむしゃら」に働いていた経験があるからこそ、今でも壁にぶつかったとき「大丈夫!どうにかなる!!」と

思えます。

状況を問わず、「必死で取り組んだ」という経験は必ず自分の力になると実感しています。

「ライフステージ」への葛藤と挑戦

結婚、転職

仕事に多くの時間を費やしていた私でしたが、当時交際していた夫との結婚を考えたとき、

このまま今の仕事を続けていけるか…?と不安になりました。

夫との時間も大切にしたい、子供も欲しい…。

購買の仕事は好きだったし、これまでの経験から自信もあったため、同じく県内に工場をもつ化学メーカーの

購買部門へ転職しました。

前職に比べると残業も少なく、突発対応が必要になることもなかったため休日出勤はほとんどありません。

仕事の調整が出来ていれば、休暇やフレックスもどんどん使いましょう!という雰囲気の職場だったので、とても

居心地の良い会社でした。

妊娠、出産

転職後2年半ほど経ったころ、不妊治療の末に子供を授かりました。

不妊治療していることは上司と仲の良い同僚数人にだけ伝えていたのですが、仕事との両立は大変なことも多かったです。

周囲に迷惑がかからないように仕事を調整するという実務面でも、

治療が思うように進まないなかでもいつも通り過ごさなければならない精神的な面でも。

妊娠がわかった後、産後の働き方を含め上司はすぐにサポート体制をとってくれました。

同僚もいつも気遣ってくれて、とても有り難かったです。

産休入りと同時に切迫早産と診断され入院。1ヶ月ほどして退院しましたが、退院当日の夜に陣痛が来てそのまま出産。

病院について診察台に上がったときには息子の頭が見えていました。

初産婦にもかかわらず、1時間45分という超スーパースピード安産です。

出産後1年間は育休を取り、始めての育児に戸惑いながらも、自分のペースで家族との時間を最優先に貴重な時間を過ごせ

ました。

心穏やかに産後の1年を過ごせたのは、会社に戻る場所があったこともとても大きかったと思います。

復職、心の中で大きくなっていたモヤモヤ

1年間の育休はあっという間に過ぎ、復職後は子供を朝7時半に保育園へ預け、17時半にお迎えに行く生活になりました。

朝は4時半~5時に起き、自分の身支度と掃除洗濯、夕食の下ごしらえ、お弁当、朝食の準備。

6時半に家族が起きてきてから登園までの1時間は、息子の気分を盛り上げるべく歌って踊って一人ミュージカルです。

朝食の片づけはできないまま登園&出社。

残業はできないので、昼休みはお弁当を食べ終わり次第業務再開!

午後も一心不乱に仕事をしてあっという間に17時。会社を出て保育園へお迎えです。

ママと1日離れていたので甘えたい息子と、朝食の片付けをして夕食の準備をしたい私。

テレビの力も借りつつ、ごまかしごまかし遊びながら準備をして、夕食、お風呂、21時就寝。

夕食の片付けはできないまま、だいたい一緒に寝落ちしてまた朝を迎えます。

自分なりに頑張って1日を過ごしたつもりでも、仕事が終わらない日は書類を持ち帰り夜な夜な事務作業。

朝、登園が気乗りしない息子に大きな声をだしてしまったり、

夕飯の準備ができていない日はお弁当を買って帰る日もありました。

慌ただしく日々でしたが、働きながら子育てしている人はみんな同じだ!と自分に喝を入れ、

心のモヤモヤには気付かないフリをして過ごします。

しかし、気付かないフリをしていても確実に心のモヤモヤは蓄積し、大きくなっていました。

復職から1年半ほど経った頃、「私、いつまで頑張れるだろう」とふと考えました。

毎日必死に、息つく暇もなく過ごしても仕事・育児・家事…それでも満足のいく状態にない日々。

家ではいつもイライラして、会社でも消極的な仕事の仕方。

なんのために頑張ってるんだっけ?誰のために頑張るんだっけ?もし今、私がいなくなったら…。と、

良からぬことまで考えました。

息子は毎日保育園で頑張って必死に大人のペースについていこうとしているのに、そんな息子の些細なワガママに

怒ってしまう自分が嫌で、涙が止まらないこともありました。

そんな私を1番近くで見ていた夫が「会社員じゃなくてもいいんじゃない?別の働き方を考えてみたら?」と、

声をかけてくれました。

働く=会社員 と考えていた私には考えてもみなかった提案でした。

脱サラ、開業

夫の提案を受け、パート、アルバイト、派遣、いろいろな働き方を考えました。

しかし、まだ小さな息子が急に体調を崩したりすることを考えるとどれも一歩踏み出せずにいました。

新しい職場でも迷惑をかけてしまう…、それなら今の職場で自分なりに調整しながら頑張った方がいいのではないか…、

転職を断念しそうになったとき、まともや夫から一言。

「書くのも読むのも好きなんだから、フリーランスでライターとかしてみたら?」

会社員こそ安定の象徴と思って生きてきた私ですので、1秒開けずに「フリーランス?私が?いやいや、無理でしょ!」と

返しました。

しかし、その会話がすべての始まりになったのです。

自分が望む働き方や仕事を改めて考え、フリーランスで働くことのメリット・デメリットを調べ、覚悟を決めるまでに半年。

会社へ退職の意向を伝え、できるだけ迷惑をかけずに退職するまでの調整に半年。

夫との会話から1年が経ったころ、約5年お世話になった会社を辞めフリーランスのライターとなりました。

最後に

以上が私のプロフィールと、ライターになった経緯です。

子育てしながら仕事をすることは簡単ではありません。

会社員であってもフリーランスであっても、それぞれに良い面と大変な面があります。

それでも私はフリーランスライターの道を選びました。

私の目標は「かっこいいママ」になることです。ちょっと漠然としすぎですね。

最終的な目標は取材ライターとして全国を飛び回りながら仕事をすることです。

取材相手は、熱意をもって仕事をしている人、自分らしく輝く人、辛い経験をした人、想いを発信したいと思っている人…。

たくさんの人の想いや考えを聞いて、文字にしたいと思っています。

「たくさんの人と一緒に仕事をして、息子の気持ちに寄り添い、いつも笑顔で」

簡単なことではありませんが、無理なことではないはずです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

ライターおちよを、どうぞよろしくお願いいたします(^^)

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この記事を書いた人

1988年生まれ | 男の子ママ | フリーランスライター
チャイルド心理カウンセラーの知識を生かしながら、子育て以外のジャンルも執筆しています。

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